あらすじ
戦争、家族、昭和の日常、そしてマンガへの情熱。巨匠ちばてつやが経験した満州での過酷な幼少期と、のちの名作を生み出す創作の源泉になった「描き続ける理由」を明かす一作です。
Release date 2016. 11
戦争、家族、昭和の日常、そしてマンガへの情熱。巨匠ちばてつやが経験した満州での過酷な幼少期と、のちの名作を生み出す創作の源泉になった「描き続ける理由」を明かす一作です。

ちばてつやの原点「屋根裏と絵本」
幼少期を満州(中国)で過ごし、終戦前後の混乱を体験したちばてつや。子どもでありながら、逃げる、耐える、家族を守るという過酷な現実に直面します。本作ではその体験が恐怖一辺倒ではなく、子どもの視点を通して描かれました。だからこそ、戦争という重苦しいテーマでも読者は「悲惨な歴史」ではなく「生き延びた物語」として受け止められるでしょう。
マンガ家である彼の原点になったのは、屋根裏で過ごした冬と二冊の童話集、そして紙と鉛筆。極限状態の中でも兄弟のために物語を考えて絵を描き、ページをめくる楽しさを共有する……この体験こそが、彼の創作の出発点です。
そして重要なのが「自分が描きたいから描く」ではなく、「誰かを喜ばせたいから描く」という動機が先にあったこと。その姿勢は、後年のプロ活動に直結しています。巨大なヒット作を生む以前に、屋根裏の小さな空間で芽生えた“物語を届ける喜び”──その体験があったからこそ、何十年経っても描き続けられるのだと実感させられる、温かくも力強いエピソードです。このエッセイが単なる回想ではなく、創作の根幹を形作った原風景として胸に迫ります。

ページの隅々まで楽しめる緻密な作画
ちばてつや作品といえば、驚くほど緻密な描写が魅力です。自宅・プロダクションがある練馬の街並み、山積みの本や原稿が雑然と置かれている仕事場、修学旅行生や観光客でにぎわう浅草寺、そして1945年8月15日とその後の満州の冬──どれも確かにあった光景が描かれています。これらは単なる背景ではなく“生きた空間”として、見る者に事実を訴えかけてくるようです。
さらに特筆すべきは、一コマごとの情報量の多さです。決して読みにくくならない構成力、遠景と近景のリズミカルな配置。読者は迷うことなく物語を追いながら、ページの隅々まで楽しめます。たとえば、野球のシーンでは1球1打の動きが細かく描かれているのに対し、型破りな弟子入り志願者・銀次が自身の才能をちばてつやに問うシーンは大きく描かれており、セリフがなくとも銀次の思い詰めたようすがひしひしと伝わってきます。
背景の緻密さと人物の躍動感が同時に成立する画面構成は、長年第一線で描き続けてきた作家ならではの力量と言えるでしょう。
エッセイでありながらドラマのような本作は、まさに“マンガだからこそ可能な自伝”を体現しています。細かな描き込みの中に「ちばてつや」という作家の誠実さと情熱が凝縮された一作です。

今なお描き続ける理由
高齢となった現在も、描くことをやめないちばてつや。本作を読むと、その理由がはっきりと見えてきます。たとえ体調を崩しても、ネームが行き詰まっても、屋根裏で弟たちを喜ばせたあの日から、「誰かに物語を届けたい」「自分のマンガで誰かを喜ばせたい」という気持ちは変わっていないのです。成功や名声のためではなく、“描くこと”そのものが生きることと結びついている──戦争を生き延び、激動の時代を乗り越えてきた過去があるからこそ、マンガが描ける日常の尊さを誰よりもわかっているのではないでしょうか。
銀次を追い出さず受け入れる優しさと、マンガにかける信念。その対比からも、彼がどれだけマンガと向き合っているのかがわかります。銀次がマンガを甘く見る態度をとれば本気で怒り、こんこんと心得を説く。それでも自身のネーム室を貸し、見捨てることはありませんでした。
幅広いテーマで名作を生み出してきた彼のマンガに対する姿勢は、過去への感謝であり、未来への希望でもあります。マンガを描ける環境がある、マンガを描く時間がある……仕事としてはもちろん、それ以上に「生きている証」として、過去を忘れないために描いているのかもしれません。本作は、その静かで強い思いを読者に感じさせる作品です。

ちばてつや短編集
エッセイマンガ編 1巻
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